端午の節句に食べるものとして有名なのが「柏餅」と「ちまき」
でも何故、柏餅・ちまきを食べるようになったのでしょうか?
今回は、端午の節句に柏餅・ちまきを食べるようになった理由や由来、
意味をご紹介します。
端午の節句って実は日本由来のお祝いではない!?
元々の端午の節句の始まりは実は日本ではなく中国で始まりました。
端午の節句の元になったのではないかとされる説として多いのが
①古代中国時代の政治家・詩人屈原が由来説
古代中国に楚という国があり、その国の王の側近に「屈原」という人がいました。
政治家でもあり詩人でもあった屈原は、周りから嫉妬を受けるようになり失脚し国からも追い出されてしまいました。
職も失い、国も追われた屈原は失望のあまり自ら川へ飛び込んでしまい命を絶ってしまいました。
国中の人から人望があった屈原だったので、
川に流された時に魚から食べられてしまってはかわいそうだと
ちまきを身体の回りに投げ彼を守ったとされています。
これが毎年命日であった5月5日に供養のためにお祭りが行われるようになり、中国全土に知れ渡り、国の安泰を祈願するお祭りへと変わっていきました。
②5月は最悪の月!お払いの為に菖蒲を飾った由来説
元々、古代中国では5月は「悪月」「毒月」と呼ばれるほど亡くなる人が多かった月だったようです。
5月には急に熱くなりはじめたり、病気に掛かる人が多く厄除けやお守りとして飾る風習がありました。
日本では奈良時代の宮中行事にはすでに端午の節句の風習が中国から伝わっていたようです。
一度、鎌倉時代のときに端午の節句は廃れていきますが再び、江戸時代に庶民の間にも広がっていき、男の子の成長を祝う節句として知れ渡っていくようになります。
端午の「午」は5を指し、「端」は、はし=月の初めごろという意味で、元々5月に限った話ではなく、毎月5日を指す言葉でした。
5月5日をこどもの日として祝日となったのは意外と遅く昭和23年の頃。
端午の午はちょうど5月を表し、奇数が重なりおめでたいという意味から5月5日こどもの日ができました。
端午の節句にちまきや柏餅を食べる意味って何?
端午の節句にちまきを食べる意味
ちまきを食べるようになったのは、端午の節句の由来①に出てきた屈原の話に由来します。
屈原が身を投げた5月5日に国民たちが毎年ちまきを投げいれ、災いが起きないように…と祈っていた事からちまきを食べるようになりました。
端午の節句に柏餅を食べる意味
ちまきは中国から伝わってきたものですが、柏餅を端午の節句のときに食べるのは日本固有の風習です。
柏の葉は、新芽が出て成長し古くならないと葉が落ちない特性があります。
これが
「子供が生まれるまでは、親は死なない」
つまり子孫繁栄を表している縁起物。
元々柏の木は神様が宿る木として大切にされている神聖な木です。
端午の節句には、柏餅とちまき両方食べなければいけないの?
端午の節句に欠かせない「柏餅」と「ちまき」ですが、どちらも食べなければいけないというわけではありません。
またどちらか片方を必ず食べなければいけないという事もありません。
大事なのは「子供の成長を祈り、災い事が起きないようにと祈る」
という気持ちです。
ちなみに関西と関東では
関西から左では「ちまき」を食べる風習が広まり
関東から右では「柏餅」を食べる風習が広まっていきました。
これは平安時代や鎌倉時代の時は都が京都にあり、中国からの文化がいち早く伝わったからではないか?
関東は江戸時代以降、武家文化が広がっていくようになったことで日本固有の柏餅が根付いていったのではないかとされています。
お住まいの地域ではどちらがこどもの日には売られていますか?
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、端午の節句の日にちまき、柏餅を食べる意味や由来を
ご紹介しました。
日本独自の風習かと思っていたら意外と違ったという事に驚かれた人も多かったのではないでしょうか?
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